junichimoriwaki2006-02-01

松江の宍道湖沿いの料亭で板前をしていた僕の母方のじいちゃんは、一念発起して、近くで小さな旅館をはじめた。

橋向こうで温泉が見つかったことを聞き付けたじいちゃんは、真っ先にそこに旅館を移した。その後そこには次々と温泉旅館が建ち並び、いつしか旅館団地と呼ばれるようになった。

老舗茶碗屋の次男坊の父さんは、僕が幼稚園に入る頃、母さんと二人でじいちゃんの旅館の通り向かいに、民芸陶器の店を構えた。

その後小学校4年まで、僕は旅館団地で育った。

となりはパチンコ屋、裏通りにはキャバレーや小料理屋が立ち並ぶ。そんな中をローラースケートで闊歩する小学生の僕。今思えば、相当特殊な環境である。

大阪の飲み屋街や新宿の歌舞伎町を歩く時、ドキドキしながらもどこか懐かしい気持ちになるのは、そのためだ。

忍び込んだじいちゃんの旅館の厨房で、若い住み込みの板前さんに、「料理は片付けながらやるもんだ」と話していたじいちゃんの言葉が、ふと、台所で包丁を握る僕の脳裏をかすめる。

誰に教わったわけでもないのに、苦もなくごはんを毎日作れるのは、あの世のじいちゃんが、そっと手助けしてくれてるからに違いない。