浮かれた泡の時代。1990年あたま。
次から次へと発売されるシングルCDの中で、100万枚を売り上げるものはめずらしいことではなく、入学式の池袋キャンバスの校門前では、まるでポケットティッシュを配るように、広告のプリントされた500円分の図書カードがばらまかられていた。
渋谷のセンター街の奥に小ぢんまり構えたCDショップHMV渋谷系と呼ばれる音楽のメッカ。
大学の授業はそっちのけ。日米英の新旧音楽もっぱらロックやポップスやソウルを聞き漁ることに、時間は刷り変わった。
ブルーハーツに夢中な僕は、ビートルズローリング・ストーンズボブ・ディランを通して、バディ・ホリーマディ・ウォーターズウディ・ガスリーを知ったように、友部正人はっぴいえんどを聞き、作詞作曲部でバンドを組む。
ひとつ上の先輩たちまで買い手市場だった新卒採用は、僕らの年には掌を返すように売り手市場にガラリと姿を変え、泡がはじけ飛んだことを体感する。
カート・コバーンが自ら命を絶ったその年の暮れ、紅白歌合戦では小沢健二がラブリーを歌い、その後ろでキョンキョンが笑ってた。
卒業後、いくつかのアルバイトをかけもちしながら東京になんとかぶらさがっていた僕は、からっぽの時間を埋めるように、6畳アパートで4トラックのカセットMTRに、歌を吹き込んだ。
そんなある日、渋谷センター街HMVの店内に繰り返し流れる歌が気になった。ホフディランというなんとも微妙な名前の二人組の「こんな僕ですが」という歌。
今だと確信した。
ちょうどその時HMVが募集していたデモテープ・オーディションあてにすぐにテープを送り、そのテープを聞き連絡をくれたのが、当時まさにデビュー直前のホフディランの担当ディレクターさんだった。
渋谷系が時代の泡と共に姿を消して行くなか、HMVの店頭にはホフディランをはじめサニーデイサービスや中村一義という面々が姿を現わし、その木の小さな枝にちょろんと自分も置かれることになる。
あれから十年。
サニーデイサービスを解散した後も独自な活動を続ける曽我部恵一君(面識はないけれど同い年同じ大学、あえて君と呼ばせていただく)が、Mr.ムーンライダーズ鈴木慶一さんをプロデュースした作品が、いよいよ完成するらしい。
他人事とは思えないほど嬉しくて、ジェラシー。
船は時代の波に揺れながら、ヘイト船長とラヴ航海士を乗せ、帆を上げる。

ヘイト船長とラヴ航海士~鈴木慶一 Produced by 曽我部恵一~

ヘイト船長とラヴ航海士~鈴木慶一 Produced by 曽我部恵一~

●BGM

AN INTRODUCTION TO AFREO-CUBOP / THE ORIGINAL MAMBO KINGS、系図 / 高田渡、FONTESSA / THE MODERN JAZZ QUARTET、DUST BOWL BALLADS / WOODIE GUTHRIE、火の玉ボーイ / 鈴木慶一ムーンライダース