のんびりホテルで朝ごはんを食べてから清水寺へ。 大黒様にお祈りして、おみくじを引く。
その足で河井寛次郎記念館へ。
島根県安来市に産まれた寛次郎さんは、東京の大学を卒業後、京都で釜を開き、柳宗悦、濱田庄司らとともに「民藝」という言葉をつくった。
「暮らしが仕事 仕事が暮らし 」 「手驚足喜」
その言葉と作品は、今でも揺るぐことなく強く響く。
のぼり釜で仕事を一段落した寛次郎さんが「お茶でも飲んでいかっしゃい(いきなさい)」と、2階の書斎から今にも姿を現しそうなほど、当時の住まいがそのまま残されている。